鎌倉五山第三位の古刹正治2年(1200)頼朝の菩提を弔うために北条政子が建立した。


     

     


鎌倉には今でも寺院が多い、その理由は。
”いざ鎌倉” というように なにごとか 緊急事態があるときに集まってくるということは、御家人達は鎌倉に常住しているものは多くはなかった。

それなのに寺院が多い理由は?

いわゆる鎌倉新仏教が鎌倉に住む人々を布教対象としたからであろう。

しかしそれだけでは説明しきれない部分がある。

13世紀の終わり頃まで、親の別荘地跡に妻子が寺院を建立するという習慣があったようだ。義時・泰時の別荘跡地に時頼が建長寺を造営し、時頼の別荘跡地に時宗が禅興寺をたて、時宗の別荘跡地に妻子が東慶寺を建立し、宗政の別荘跡地には妻子が浄智寺を開いている。
鎌倉在住の有力御家人が亡くなるとその邸宅や別荘の跡地に菩提を弔う寺院が造られた、世代交代がすすむごとに寺院が増えていったことになったようだ。


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